所謂「聖地巡礼」と云うものについて。──または現実世界と交錯する2次元世界のこれからの話。

※本稿は、七森中録画研究会発行「空気録学 2016年12月号」掲載記事を一部編集・追記の上転載したものとなります。

世界を震撼させた一大テロ事件の発生という劇的な幕開けとなった21世紀も、早いもので16年目を数える年となった。戦争の世紀と呼ばれた20世紀を生き抜いた人々がバラ色の夢と希望を抱いて迎え入れた21世紀だったはずなのに、今度はテロの世紀とも別名されるだけの、薄暗く不気味な世界を前世紀から引き続いたままの現状には世界中の誰もが落胆している事だろう。しかし、萌え産業の一大生産国であるここ日本1においては相変わらず平和な様相を呈しており、人々はのんびりとアニメを見たり、萌え絵を愛でたり、オリンピック開催期とコミケとの関係を憂慮したりと、暴力と恐怖に支配される世界情勢から隔離されたかのような変わらぬ日常が送られているのであった。そんな中、最近ではアニメや漫画、小説などの創作作品に登場する実在の場所を訪れる「聖地巡礼」と呼ばれる余暇活動がここ日本において一大ブームとなっている。作品の中の登場人物がそこで生まれ育ち、生活し、あるいは活躍した舞台となった場所を、宗教における聖人ゆかりの場所を指し示すそれと同意の「聖地」と称し、ファンを信奉者に見立てそれらの土地を見て回ることを「巡礼」と呼び始めたのがこの言葉の由来である2。昨今では主にアニメを中心に、モデルとなった実在の土地の風景が細部にわたって緻密に描写されていたり、熱狂的なファンの間で作中の要素から舞台が特定される間でもなく原作者や版権者が先回りして明言する場合も多くなり、より一層「作品の舞台」という要素を重視した作品が増えてきたように感じる。特に今年は「君の名は。」という劇場アニメ作品が爆発的にヒットし、舞台となった山間部の地方都市に多数のファンが殺到する様子が各メディアで取り上げられたのは記憶に新しい。さらにその作品による聖地の盛況っぷりにより、某社が主催する流行語大賞に「聖地巡礼」がノミネートされるまでにもなった。これまでマニア層にだけ通じる専門用語3だった「聖地巡礼」という単語がだいぶ世間一般にも浸透してきた感がある。

ではなぜ人々は、自分が“ハマった”作品に描かれた光景を追い求めるのか。それは「聖地巡礼」の大きな魅力のひとつとして、ストーリーや登場人物は架空の創作作品であるにも関わらず、その物語の顛末が繰り広げられる舞台は実際に我々が生活している世界に存在し、そこに踏み入れることであたかもその作品の世界に入り込んだような不思議な感覚を味わえるという点にあるからだ。実際に「聖地」に降り立つと、作品内での場所の描写は実際に存在するものをベースとして描かれているだけに、完全にフィクションの領域内にいるはずの登場人物たちまでもがあたかもそこに実在するかのような錯覚に陥る。さらにじっくりと「聖地」を彷徨えば、そこが適当に舞台として選ばれただけのものではなく、設定された土地の光景や気候、住む人たちの人柄などの環境も、創造されたキャラクターたちの個性や行動に影響を及ぼす変数として作用している気さえしてくる。そして、彼らが見た光景、通った道、住んでた家を見るにつけ、映像や文章では読み取れない彼らの心中をより深く汲くみ取ることができ、一層作品への親しみが涌いてくるのだ。この作り手側による「架空世界」と「現実世界」を意図的に交錯させる構成手法により、アニメや小説などの世界が「現実世界から隔離され絶対に物理的に入り込むことのできない創造上のもの」では無くなり、現実世界からのアプローチによるフィクション世界への探訪が可能になるという驚くべき革新性がもたらされた。これまで完全に架空のもの、または(特に、あくまでフィクション作品であるが故に実在のものに触れる事が禁忌とされていた時勢では)ごく曖昧な描写のみだった登場人物たちの周辺環境を、実在の土地として物語内で包み隠さず存分にに表現することで、作品のファンたちにさらに作品に没入する楽しみを与える事にも成功したのだ。

さて、本稿が掲載される媒体からして「ゆるゆり」の舞台である富山県高岡市の話をしたいところだが……残念ながらそれはひとまず脇に置いておき、今回は私が実際に「聖地」に強い関わりを持っている、アニメを中心としたメディアミックス作品「ラブライブ!」と、その後継作である「ラブライブ!サンシャイン!!」の聖地について簡単に紹介したい。そもそも私は「ラブライブ!」の聖地となる秋葉原(外神田3丁目)に居住しており、自宅最寄りの神社は作中でも重要な場所として描かれる神田明神だし、歩いてほんの数分以内の場所の光景は作中で複数回に亘り登場している。まさにキャラクター達と同じ光景を毎日見て、同じ味の空気を吸って日々生活している状態だ。いつもは何気なく通り過ぎていくこの風景や生活でも、たまにふとこのことを思い出し、作中内の彼らと日常を共有しているんだな、という感に浸るとたまらないものがある。さらに、今年アニメも放送されたシリーズ後継作「ラブライブ!サンシャイン!!」では、もともと魅力のある登場人物たちの中でもひときわ異彩を放つ某キャラクターにはまりすぎてしまい、舞台となる沼津にも1月のアニメ化発表前の探訪を皮切りにこれまで6~7回は訪れているし、作中の背景に描かれる旅館に宿泊までしている。さらに秋葉原から沼津までの回数券を常備し、暇を見つけては東海道線で2時間ほどかけ て沼津まで移動する。ちなみにラブライブ!サンシャイン!!では、沼津と秋葉原を東海道線に乗車して往復する描写があり、住んでいるところや目指すところも聖地、移動中の東海道線の聖地と、もはや休日に沼津を往復しただけで聖地ばかり動き回っていることになる。とにかく、「聖地」を巡る事で、アニメのキャラクターたちに会えたり、彼らと同じ気持ちが涌いてくるような気がするのだ。聖地に行けば、四季も、天候も、気温もさまざまだけど、作中の彼らだって暑ければ汗を流すし、寒ければ着込む、冬になれば寒い朝に憂鬱になるだろう。だから、その土地の肌感覚を共有しているんだと思うだけで嬉しくなるし、普通の観光地とは違った目で周囲を見渡すことができるのだ。

ところで最近では「聖地巡礼」に限らず、さまざまな手法で架空の2次元世界と、実際に存在する3次元世界を橋渡しする手法が多数開発されつつある。例えば先に出てきた「ラブライブ!」では、雑誌内での読者参加型企画としてスタートした点もあるため、多角的なメディアミックスの一環として、各キャラクターの声優陣によるライブベントをはじめスマートフォンゲームや各企業とのコラボレーション企画などにおいても成功している。他の作品ではライブイベントはもちろん、2次元と3次元の中間を指し示す「2.5 次元」と銘打ったミュージカルなど、舞台や演劇という形式で興行しているものもあり、こちらも女性向け作品を中心に人気を博している。このように、これまではOculusやPSVRに代表されるヘッドマウントディスプレイを使用した仮想現実(VR)や、偶然にも「聖地巡礼」と同様に今年の流行となった「ポケモンGO」での携帯端末のカメラ映像にCGをオーバーラップさせる拡張現実(AR)などハードウェア中心の工業的手法で次元を融合させる試みばかりだったが、それ以外にも「聖地巡礼」のように非ハードウェア技術や新たな表現手法を用いた様々な発想で次元間をリンクさせようとする試みも多数見られるようになってきた。これにより、単なる創作作品だったものが読者や観覧者が実際に存在するものとしてさらに楽しむことが可能となってきた。これこそ21世紀型のアニメファンの楽しみになるのではないだろうか。さらに今後は、より2次元と3次元世界のシームレスな意識遷移が行える技術や表現も続々と登場し、いずれはこの垣根すらもなくなる日が来るだろう。このように、今後は旧来の視覚や聴覚だけではなく、五感をフルに使って3次元世界に投影された物語の世界を楽しめる仕掛けがさらに増えてくるだろうし、非常に楽しみなところである。

基本的にアニメや小説などの作品は、我々が存在する3次元空間では起きえない願望を具現化させるためのものであった。それが今後は、まるで実在の空間に創作物がぽつんと置かれたようなリアリティを持たせることがもっともっと緻密に、簡単に行えるようになる事だろう。クリエイターが頭の中で妄想していたものが現実世界にそのまま出現するのだ。

まだまだ21世紀は始まったばかり。これから80年が、妄想世界と現実世界のリンク化でバラ色に染まって行ければ…ひとりのアニメファンとして、切にそう願うばかりだ。

  1. 日本の萌え産業が及ぼす世界平和貢献についての考察は、連載#3「七森中録画研究会は日本のアニメを応援します☆」にて述べているのでご興味のある読者はぜひとも参照されたい。

  2. 語源が宗教用語からの派生であることからもわかるとおり、 これら聖地巡礼を行うファンの多くは作品に対する熱烈な支持者であり、 その作品を絶対的に崇めるような狂信的な人々を嘲笑する意味を含む蔑称として使用される場合もあるので注意。そのため「舞台探訪」などといった同意語もあるが、ここでは便宜的に一般的に認知度の高い「聖地巡礼」を用いることとしたので予めご了承いただきたい。

  3. 筆者が初めて「聖地巡礼」なる言葉を聞いたのは、木崎湖が舞台の某作品のファンからだった気がする。